『70代の山歩き――山歩講9年の記録』
□ 山歩講
山歩講は、私の主宰する山の会です。2012年の4月に発足し、現在に至っています。
自己責任で参加するという以外に、これといった制約を持たない講中(と呼びましたが、会員)はおおむね15名前後。月一回の山行からはじまり、のちに月2回に増え、3回となり、今年に入ってからは毎週の山行を案内するというかたちに変わってきていました。
10年目に突入したばかりの2021年4月、私が遭難救助されるという事故に遭い、会の継続を終える決断をすることになりました。
山歩講発足当初の最高齢者は71歳。あとはひとつずつ若く、69歳の私をふくめて68歳まで3人が続いていました。当時若かったその他の人たちも、9年を加えて高齢者の仲間入りをしています。振り返って総じてみると、まさしく70代の山歩きでした。
会の活動を閉じる前に、ここまで9年のあいだ、どのような山歩きをしてきたのか、振り返ってみよう。それを終えてから、会の活動を閉じたい、と思っています。
□ 活動の変容
2012年の発足から2016年3月までは、月一回の山行を案内していました。私が企画し、希望者が参加するという、ごくシンプルな山行です。
それが2016年4月から、月2回になりました。月一回の私が企画するもののほかに、講中が企画する山行「日和見山歩」が加わったのです。講中は、交代で月一回の企画を担当し、チーフ・リーダーとして実施してきました。
2019年3月から、私の企画する山行が月一回から三回に増えていきました。夏に4泊5日の槍ヶ岳山行を設け、それに向けてトレーニング山行を加えたのです。
2020年は、コロナウィルス禍が大きく影響して、山行のかたちが変わってしまいました。電車やバスの利用が厳しくなり、車で移動することが多くなりました。遠出の山行も宿泊にテント泊を採用したために、自ずから参加者は、限定されることとなったのです。
そして2021年、山歩講のない週に私が行ってきた自主山行の案内を講中に送り、参加希望者がいればアプローチの仕方を打ち合わせて実施するようになっていきました。毎週、山行の案内となり、そして、今回のフィナーレを迎えることとなったのです。
□ 山行記録
発足当初から2019年3月までは、半年ごとの山行計画を私が立て、参加者を募る方式でした。また、2016年4月から加わった「日和見山歩」は、担当者となるCL(チーフリーダー)が(遅くとも)実施の前月に山行計画を提示し、思いおもいに参加する格好になりました。
しかし2019年3月以降は、8月の「槍ヶ岳」を軸に、月3回程度のトレーニング山行を計画し、天候を見計らいながら、実施するようになりました。
その後は、目標の山名を提示し、アクセスの方法と合流の場所と時刻、登山口から下山口までの行程とコースタイム、帰りのアクセスを案内するメールを送りました。参加者から返信があり、当日の天気予報と顔ぶれを確認し、地図を配って出発するという、単純な運びです。
山行後に毎回、この9年間、私は山行記録をつけてきました。紀行文のようなものです。私自身が、どんな山行であったか思い出せるように書き始めたのが、動機だったでしょうか。これも、出来上がると講中に読んでもらおうとプリントし、「山歩講通信」というタイトルで、次の山行の時にお配りしていました。
じつは昨年、コロナ禍で山行が出来なくなったとき、この山行記録をざっと、ひとまとめにしてみたのです。なんと、400字詰め原稿用紙に換算すると、1800枚ほどにもなっていました。
それを、今の時点から読み直すと、どうみえるだろうか。それが、この山歩講ネットを起ち上げて、綴ってみようと思った動機です。その結果が、これから皆さんが目にすることになる『70代の山歩き――山歩講 9年の記録』です。
なお文中、講中の名は、すべて仮名で記しました。ご容赦ください。
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